ふんどしの種類
「ふんどし」といえば、皆さん何を思い浮かべますか?
多くの人が、お祭りなどでよく見かける純白で、
ねじねじの紐をお尻にキュッと締め込んだ『六尺ふんどし』ではないでしょうか?
実はふんどしには、
日常的に使用される『越中ふんどし』や、『もっこふんどし』など
いくつも種類があり、その形状や機能をあまり知られていません。
ふんどしの歴史
「ふんどし」と聞いて何を思い浮かべますか?
<古い><堅苦しい><ダサイ><お祭り>、、、、いくつか出てくると思われますが、
残念ながら、一部の愛好家を除いては、あまり好意的に世の中に受け入れられてはいません。
なぜそうなってしまったのでしょうか?
ここでは、ふんどしの歴史を簡単に解説します。
「なぜ『ふんどし=恥ずかしい』というイメージが定着しているのか?
『ふんどし=恥ずかしい』と思うようになったのはいつの頃からなのでしょうか?
「江戸時代まで、ふんどしは男の仕事着のような役割も果たしていました。
大工、魚屋、物売りなど職人や商人は、尻はしょりした裾からふんどしを露出して仕事に励んでいました。
浮世絵等でもふんどしを堂々とさらけ出している人を描いたものを見かけます。
ということは、少なくともこの時代までは、ふんどしが恥ずかしい衣装ではなかったはずなのです。
時は流れて文明開化の時代。
日本にやってきた外国人を驚かせたもののひとつが、
ふんどしでお尻を丸出しにして街を歩いている男の姿だったといわれています。
この声に、時の権力者が、<裸で街を歩くな!>とお触れを出したことで
「ふんどしは下品でみっともない」といった風潮がだんだんと芽生えはじめました。
この頃から、日本人の外国人に対する劣等感が強まっていったのではないかと推測できます。
そして、最大の受難(ふんどしいじめ)が敗戦後にやってきます。
それまで軍隊の定番下着だった「越中ふんどし」を軍国主義の象徴として捉えられたのです。
また、日本人のライフスタイルは急速にアメリカンナイズされていきます。
その過程で、日本人の下着も「パンツ」に変わっていくのです。
明治維新と敗戦、、、時代の大きな変節はふんどしという文化を軽々と呑み込んでいき、
今、一般的に浸透してしまっているあまりよくないイメージが定着し始めました。
こうして現在、ふんどしは相撲や祭りの「ユニフォーム」として捉えられ、
「常用下着として愛用している人はほとんどいなくなってしまったのです。
ふんどしあるあるマメ知識
昭和天皇が学習院の初等科に入学された明治41年当時、
先生は「白色」、学生は「赤色」とふんどしの色が決まっていたんだって!
参考文献
- 「男の粋!褌ものがたり」
- 越中文俊/著
- 「男の粋 和の極み おっ、ふんどし!?ー新・ふんどし物語」
- 越中文俊/著
- 「パンツの面目ふんどしの沽券」
- 米原万里/著
- 「ふんどしの話」
- 新穂栄蔵/著
- 「男のきもの雑学ノート」
- 塙ちと/著(ダイヤモンド社刊)